素振り文武両道

バットの素振りが11年10ヶ月で60万本を超えました。

文豪スイング 野村胡堂『随筆 銭形平次』

本日は【170】バットを振りました。

日本、逃げ切ってくれー!!

皆様、ご機嫌いかがでしょうか。

今日は文豪スイングです。野村胡堂さんの随筆の前半を読みながら、バットを振りました。

随筆なので、捕物小説の解説のようなもので、平次も大川橋蔵さんも出て来ません。

文章を割愛し、12行にして素振り用の文章ということで、以下に書きます。

捕物小説の制約は大きい。
ピストルも青酸カリも使えない。
ビルディングで活躍できない。
時間も鐘の音に頼る。

この様な制約の中で、
人と人、心と心とのふれあい、
人情の機微の中に、
トリックが生れる。

「人間の文学」として、
捕物小説の意味がある。
一部の推理小説より文学として、
高等ではと、自負したくなる

ということで、12行となり、1行あたり5回ずつ【言って振り】ました。60スイングでした。

捕物小説は、人間の機微の中に、トリックを出す、人間の文学だと、良く分かりました。
後半は、また今度。

青空文庫より。
『随筆銭形平次』
捕物小説について
野村胡堂

 捕物小説は、ただもう卑俗な、全く無価値な文学であるかの様に読まぬうちから、或いは一寸ちょっとめくって見て、軽侮する傾向が強いが、これはいかが? 捕物小説はも一度見なおされるべきではないか。それよりも現在、捕物小説が圧倒的に大衆の支持を受けている事実を何と見ればよいのか。
 捕物小説の構成上の制約は実に大きい。第一に、ピストルも青酸カリも使えない。ビルディングで活躍することも出来ない。時間の問題にしても、ゴーンと鳴る鐘の音にしか頼るべきものがない。この様に非常に極限された制約の中で、人間と人間――心と心とのふれ合いの中に、ただ、人情の機微の中にトリックが生れ出なければならない。一切の「非人間」は活躍の余地なく、ただ「人間」そのものに関聯してトリックが生れねばならない。ここに、香り高い「人間の文学」としての捕物小説の意味がある。或いは、こんなことを云ったならば叱られるかも知れないが、捕物小説は、近頃日本に於ける一部のいわゆる推理小説より、文学としてはより高等な段階にあるものではないかと、いささか自負してもみたくなるのである。
  

  つづく

 

本日の素振り文武両道の概要。
2022/11/23 素振りの本数 : 170 本,
文武両道スイング,
02:04 +30 本,
ペーパー投げキャッチスイング,
📄📄📄,

02:20 +20 本,
カリンバ練習スイング,
🍁🍁,『旅愁』
ソーミソドー,
ふーけゆくー,
 ラードドソー,
 あーきのよー,
ソードレミーレドレー,
たーびのそーらーのー,
    ソーミソドーシ ラドソー,
    わーびしきーお もいにー,
4パターン、5回ずつで20,

おいしスイング,
森永,ピスタチオ、
ホワイトチョコクッキー,
🍪🍪🍪🍪,
02:29 +40 本,

文武両道スイング,
02:38 +20 本,
ツボスイング,
八風🦶,手心👋,水分🦦,神門👂,
5本ずつ,

22:15 +60 本,
文豪スイング,
野村胡堂『随筆 銭形平次』,

f:id:suburikuroinu:20221123231935j:image
本日もどうもありがとうございました。