素振り文武両道

バットの素振りが11年で56万本を超えました。

俳句スイング 74 埋め字の最終回

本日は190本バットを振りました。
皆様こんばんは。
いかがお過ごしでしょうか。
今日は俳句読みバットスイングです。
『俳句の作りよう』高浜虚子著の途中からです。
生きて世に○○○○○○○○○○○○
丸を埋めよ、の続きです。
虚子さんが仲間から集められました。
まず動植物の蛙、海鼠、菊の3句がありました。
そして人間の句です。
「生きて」があまり必要でない2句


生きて世に接木上手とほめられき
生きて世に女ならばや京の春


「生きて」が必要ですが十分でない2句


生きて世に案山子に似たる守衛かな  生きて世に甲斐なきこの身炉に倚らん  


そして「生きて」が凄く活きる、
「貧」「老」「病」「死」に着眼した句が今日の素振り箇所です。


生きて世に貧の寒燈ともしけり 濱人
生きて世に明け暮れ淋し老の秋 時綱
生きて世に病の床の桜かな  昌東
生きて世に真田が庭の桜かな  牧人


(真田は=真田幸村)

これらの句は
「死んだ方がましだけれども」貧
「いつ死ぬか判らぬ身ながら」老、病
「かつて討死すべかりし身が」死
とかいうような境遇を背景にしているから
「生きて」という字は格別の響きを持つのである。
真田は死を逃れて志度山のふもとに隠棲していた。
あの時死んでいたら、桜の花などを見ることはできないが、
生きておればこそ世にまた庭の桜を見るのである。
これで「生きて世に」という力強い十分の意味があるのである。
原句も、この「真田」の句と同様の詩を背景としての句であります。


生きて世に人の年忌や初茄子  几董


自分は大病をして死ぬところであった。それが全快して生き永らえて、かえって他人の年忌に会う。初茄子を霊前に供えよう、という意味で、
他人の年忌をもってきたところに、一度死に臨んだ自分の世に生きていることに格別の深い感情を動かすのです。
 私は永々と埋字のことを申し述べましたが、これはこのように研究をすることが俳句を作る上に多少の興味あるしかも有力なる参考になることと考えたからのです。

 

ちょっと長いね、文章が。
つまりこう言うことでしょうかね。
最後のバッターがファールフライを打ち上げ、野手が落下点に入る。打球が落ちてくる。ポロっと落とす。

あぁ良かったまた打てる。

と言うのと似ています。

 

本日の素振り文武両道の概要
2021/10/01 素振りの本数 : 190 本
文武両道スイング📚
12:39 +30 本
📄📄📄
ペーパー投げキャッチスイング
13:00 +30 本
🎋🎋🎋俳句スイング
『俳句の作りよう』
13:14 +20 本
ツボスイング
🦵足三里
🙌腰腿点
💪手三里
🫁天突
😁神庭
4スイングずつ
16:45 +30 本
😁😁😁「楽しい」連呼
17:38 +20 本
🦶🫁足心膻中呼吸法
美味しスイング🎑
🍫🍫🍫🍫🍫 🍫明治
アーモンド
21:48 +60 本
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本日もどうもありがとうございました。