素振り文武両道

バットの素振りが11年で56万本を超えました。

文豪スイング104 織田作之助『起ち上がる大阪』 &朗らかにバットを振る

本日は80本バットを振りました。

こんばんは。

 

最近どないだっか?

 

最近は2日に1回は、文豪の文章を読みながら、バットを振っています。

 

今回は大阪文学です。


【 】内の文章を1回言っては振り、

20本の素振りとなりました。


青空文庫より
『起ち上がる大阪』 織田作之助


 「ある罹災者の話である。名前はかりに他三郎として置こう。そして私の好みに従って、他アやんと呼ぶことにする。 他アやんは大阪の南で喫茶店をひらいている。この南というのは、大阪の人がよく「南へ行く」と言っているその南のことであり、

【罹災者、タアやんの話である】

【大阪の南で喫茶店をひらいている】

 

私もまた屡〻「南へ行く」たびに他アやんの店へ寄っていたから、他アやんとは顔馴染みであった。

【タアやんとは顔馴染みであった】

《中略》

 

 実のところ、他アやんはもうどっかへ疎開していて、会えないだろうと私は諦めていた。ところが、行ってみると、他アやんは家族の人たちと一緒にせっせと焼跡を掘りだしていて、私の顔を見るなり、「よう、織田はん、よう来とくなはった。見とくなはれ、ボロクソに焼けてしまいました。さっぱり、ワヤだすわ」 と言ったが、

【タアやんはどっかへ疎開して】

【会えないだろうと諦めていた。】

【ところが、家族の人たちと、】

【せっせと焼跡を掘りだしていて】

【織田はん、よう来とくなはった】

【ボロクソに焼けてしまいました】

【さっぱり、ワヤだすわと言った】


他アやんはべつに「さっぱりワヤ」になった人のような顔をしていなかった。聴けば他アやんは頼っていく縁故先が無いわけでもなかったが、縁故疎開も集団疎開もしようとせず、一家四人、焼け残った防空壕の中で生活しているのである。
《中略》

【「さっぱりワヤ」になった人】

【のような顔をしていなかった】

【縁故疎開も集団疎開もせず】

【一家四人、焼け残った、】

防空壕の中で生活している】


わては最後までこの大阪に踏み止って頑張りまんねんと、他アやんは言い「メリ助が怖うてシャツは着られまっかいな。戦争済んだら、またここで喫茶店しまっさかい、忘れんと来とくなはれ」 実に朗かなものであった」

【大阪に踏み止って頑張りまんねん】

【戦争すんだら】

【またここで喫茶店しまっさかい】

【忘れんと来とくなはれ】

【と、実に朗かなものであった】


ということです。

 

本日、実際に大阪の南の繁華街で、お店を半分閉店する所がありました。

 

ウイルス災害です。

 

それで、昔の戦災で焼けたある喫茶店店主の心情がここに書かれていたので、

 

読みながらバットを振りました。


教訓として、野球人たるもの、何があっても

朗らかにバットを振ろう

、ということです。

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織田作之助

ウィキペディアより

 

 

本日の素振りの概要


2020/09/24 素振りの本数 : 80 本
素振り収穫祭🎑

02:41 +40 本
🍌🍌🍌🍌クラシエ
ほんまバナナ

 

09:46 +20 本
🔺🔺武田
アリナミンEX


文武両道スイング📚

20:00 +20 本
📝📝文豪スイング
織田作之助『 起ち上がる大阪』