本日は200本バットを振りました。
皆様こんばんは。
いかがお過ごしでしょうか。
今日は高浜虚子さんの俳句論を読んで、バットを振りました。
青空文庫『俳句の作りよう』高浜虚子 著 より、抜粋
【私はどうでもいいから十七字を並べてご覧になるがよいと言った】
【それはいつも躊躇して空しく歳月を過ごしてしまう人のために】
【十七字を並べてご覧になることをおすすめしたのです】
ということで、上から、3、4、3回繰り返しバットを振りました。
以下続きます。
切れ字についての説明ですが、20の文を、2回ずつ読んで振りました。
【やはり切字を詠みこむ必要は自然に存在している】
【人にものを話す時に何々でありますとか、何やらであるとか】
【必ず談話のおしまいにはくぎりをつける。】
【発句もぜひその十七字の中に一つのくぎりが必要になる】
【「です」とか、「である」とか普通の言葉と同じように】
【必ず何とか意味を限る、くぎりの言葉が必要になる。】
【「春風や」というと、春風が吹いておりますと同じような意味になる】
【「時雨けり」といえば、その「けり」という字は時雨れているぞというくぎりの言葉になる】
【そこで俳句のおもな切字は「や」「かな」「けり」という字がもっとも普通で】
【もっとも力強い意味を持っている】
【他に文章で意味を切る時に用いる助字が、俳句でも用いられる。】
【「ぬ」「らん」「たり」「す」という文字や、ほかたくさんある。】
【「や」の字は俳句にあっては格段な意味に用いられ】
【「春風や」というような場合には、春風が吹いており】
【その吹いているという動詞までが「や」の中に含蓄される】
【「かな」という字は、普通に詠嘆の意味に用いられる、ということになっているが】
【必ず詠嘆の意味ばかりでもない】
【軽い場合にはほとんど無意味に】
【単に意味を切るためのしるしとして用いられる】
【重い場合には非常に深くものを詠嘆するような場合に用いられる】
という事で、素振りのシナリオとなっており、長々しくなりました。
試しに「や」を小説の文で考えます。
『羅生門』芥川龍之介 の出だし、
「ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた」
「暮れ方の事である」は「暮れ方や」で良いのかな。
暮れ方や 一人下人が 門の下
おっとまだ季節がないですね。
暮れ方や 一人下人が 門の秋
本日の素振り文武両道の概要
2021/10/07 素振りの本数 : 200 本
文武両道スイング📚
02:04 +30 本
📄📄📄
ペーパー投げキャッチスイング
02:09 +20 本
🦶🫁足心膻中呼吸法スイング
20:30 +40 本
ツボスイング
🦵足三里
🦶八風
👋手心
👋神門
👋陽谷
🙌腰腿点
😁神庭
🫁天突
5スイングずつ
22:16 +50 本
🎋🎋🎋🎋🎋俳句スイング
『俳句の作りよう』
美味しスイング🎑
22:25 +60 本
🟢🟢🟢🟢🟢 🟢トーハト
濃堅パック ビーノ えんどう豆100%
10本振っては5〜6個食べました。×6繰り返し
本日もどうもありがとうございました。