福沢諭吉『養生の心得』に
「住所居宅の事」という項目があり、
その一部を口にしながらバットを振りました。
バットを振りました。
バットを振りました。
バットを振りました。
これを強調しないと、意味が無い。
以下、左の文章を言って、右の数字はバットを振ったリピート回数です。
空気を吸って生活する事は➓
魚が水を吸って生活すると同じ➓
魚は水が無い時は❺
餌があっても生活できない❺
又魚は清潔な川に居る時は➓
肥えて勢い良いけれども➓
腐敗した水の中へ移す時は➓
直に勢いが弱りついに死ぬ➓
人も清潔な空気を❺
吸っていれば強壮になる❺
悪い空気を吸えば❺
ついに病気を起す❺
終了、90本バットを振りました。
非常に当たり前のことが書かれていますが、空気の良し悪しを
水中の魚に例える発想は、簡単なようでいて、やや難しいと思います。
例え話は、的を外すと聴き手が混乱するので、注意を要します。
例えば「地中が汚いとモグラが弱る」というよりも「水中の魚」のほうが、的を得ていると思います。
しかし、関西なら外し方が上手いと笑いを誘う場合があり、コミュニケーションがスムーズに成る事が有ります。
「空氣を今日我々の吸ふて生活て居る事は、丁度魚の水を吸て生活て居ると同じ理合にて、魚、水なき時は餌有りても生活て居らぬが如し。又魚は清潔なる流れ川に居る時は肥て勢ひよけれども、腐敗たる水の中へ移す時は直に勢ひ弱り遂に死ぬる通り、人も清潔なる空氣を吸ふて居れば強壯なれども、惡しき空氣を吸ふなれば遂に病氣を起すに至る」
今回のコロナウィルスより、インフルエンザウィルスの方が、被害が多いという意見があります。
確かに去年か一昨年か忘れましたが、10に1人がインフルエンザにかかると言われてました。
日本なら1千万人なので、コロナとは桁違いです。
これにはインフルエンザの空気感染が甚だしい説があります。
ということは、2人が面と向かって会話した場合、数秒でうつるのがインフルエンザ、
数分がコロナ、と解釈していいのでしょうか?
それとも危ないのは危ない、で、分けるな、の方針がいいのか?
でもそれでは、無駄に経済が止まる事になるでしょう。
それでは、本日の素振り文武両道の詳細です。
2020/05/03 素振りの本数 : 150 本
素振り収穫祭🎑
09:53 +30 本
🍈🍈🍈共親製菓
フルーツの森
11:11 +30 本
☕️☕️☕️アサヒ ミンティア
コーヒー
文武両道スイング📚
18:08 +90 本
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文豪スイング